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解脱・悟り解脱者の証明――サマディ

■Alephの成就者たちのサマディ(三昧)――現代に甦る聖者列伝

イメージ 瞑想の究極の状態、サマディ(三昧)。その状態に入ると、呼吸も、そして心臓さえもが停止してしまうという。その“解脱者の証明”であるサマディの奇跡は、古来、仏陀釈迦牟尼をはじめとした聖者と呼ばれる人々によって体現されてきた。

 人が人を超える瞬間――。その至高の境地を体現した、Alephのクンダリニー・ヨーガ成就者の体験談をご紹介しよう。

●心は満ち足りて、求めるものはもう何もない

「そのとき、わたしの心は満ち足りて、求めるものはもう何もなかった。周りは自己の内側の光で照らされ、その明るい空間の中でわたしは座っていた。
  意識は完全に覚醒し、いっさいの雑念はわいてこない。今までに体験したことのないすべてが静まった状態だ。
  ……わたしは、自分の呼吸が完全に止まっているのを認識した。」(B師)

●光の空間――心には完全なる寂静が生じた

イメージ「ものすごい解放感とともに、自分の心身がどんどん軽くなって静かに上昇を始めた。そして、遥か上方に太陽のような光の球体があることに気付いた。そこに向かって自分が上昇していくと同時に透明な光がシャワーのように降り注がれ、自分自身のナーディーが浄化されていくのを感じた。そして最終的に光の中に飛び込んだとき、そこには光の空間しかなく、心に完全なる寂静が生じた。

 ――それは、人間では絶対に経験できない喜びだった。“突き抜けた喜び”と言ったらいいだろうか。意識が一次元高いところにポーンと行ってしまっている感じだ。
  現世の喜びには、この突き抜ける経験は存在しない。いくら異性と遊ぼうとも、おいしい物をどんなに食べようとも、どんなにレジャーで楽しもうとも。現世で味わえる喜びは、必ず苦しみを隣り合わせに持っている。そして、条件が変われば、すぐに苦しみに変わってしまう。
  けれども、このとき(クンダリニー・ヨーガの成就の体験のとき)の喜びというのは、そういった現世という閉じた世界から完全に解放されている喜びだった。言い方を変えれば、神々の喜びといってもいいだろう。
  そして、そのときに、『ああ、すべての魂がこの喜びを経験してくれたらいいな』という思いが自然にわき起こってきた。それは、本当に自然と心の底からわき起こってくるものだった。」(ソーパーカ師)

●一切の苦しみは滅尽し、完全な集中から来る大平安と大歓喜のみが存在していた

イメージ「深い瞑想に入っていくと、呼吸そのものが次第に煩わしくなっていく。『もう呼吸するのはやめよう』と思った。そして呼吸をやめた――。途端に完全な集中が訪れ、意識はグーッと内奥へと突っ込んでいった。そのときの集中は、特に何もしなくても自然と集中している状態だった。
  突如、目の前に光が広がった。辺り一面が光の海だ。光の海に没入した状態で、さらに瞑想状態に変化が訪れる。その「光の世界」と「自分」がはっきりと分離されたのだ。
  そのときの「自分」――これはもう言葉では表現できないが――これこそがニルヴァーナと呼ばれる、魂の究極の境地のようだった。そのとき、魂は、すべての情報から解放されたのである。一切の苦しみは滅尽し、完全な集中から来る大平安、大歓喜のみが存在していた――。」(DS師)

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 Alephには、激しい修行によって、このサマディ(三昧)の境地を体現し、クンダリニー・ヨーガの成就を果たした者が数多く存在している。そして、それは、特別な一部の人だけが体験できるというものではない。Alephの正しい修行によって、だれもが経典どおりのサマディの体験をすることが可能なのである。