
■釈迦牟尼が残した解脱のプロセス――十二縁起の法
解脱とは、いったいどのようなプロセスをたどるのであろうか。
解脱にはいくつかの段階があるが、ここでは、尾てい骨に眠る生命エネルギー“クンダリニー”の覚醒・上昇によって煩悩を昇華する、クンダリニーのプロセスを見ていきたい。
そのプロセスを詳細に描いていたのは、仏教の開祖である釈迦牟尼(サキャ神賢)であった。日本ではあまり強調されないが、釈迦牟尼が実際に行なっていた原始仏教の修行は、原始ヨーガと流れを同じくするものであった。
解脱に至るクンダリニーのプロセスは、原始仏典の中でも最古のものに属する『阿含経』に記されている。それは、釈迦牟尼の説いた「縁起の法(十二の条件生起の段階)」だ。ここではそのプロセスを簡単に再現してみたい。
なお、Alephには、この経典どおりの各段階を実際に体験した成就者(解脱・悟りに到達した者)が数多く存在している。

●魂の上向のプロセス――苦から解脱に至る過程
◎“苦”あるゆえに“信”あり
人生は苦しみであると感じるところから、人は道を求め始める。そして修行を始めることになる。
◎クンダリニーの覚醒
解脱へ向かうための第一歩、それはクンダリニーの覚醒だ。このステップを経なければ、それ以上の境地に至ることはできない。
◎最高のエクスタシー=“悦”
クンダリニーが上昇して、ものすごいエクスタシーをもたらす状態である。
クンダリニーが上昇して、頭頂にある霊的センター“サハスラーラ・チャクラ”に到達すると、そこに隠されている「不死の甘露」を落とす。心を歓喜状態にし、これが体中に満ちると意識が鮮明になり、かつ途切れることがなくなる。
なお、ヨーガ経典は、この段階までしか記述しておらず、また古代神道や仙道の経典にもこの段階までしか述べられていない。
■《体験談(1)》 この世で最高の快感!――悦の体験
クンダリニーが覚醒してから数年後、悦の体験が始まりました。全身に何とも言えない気持ち良さで満たされる感覚が出てきたのです。頭もとてもクリアで、意識が広がっていて、すっかり満たされた喜びに浸っていました。
さらに修行を進めていく中で、全身がしびれるような喜悦が生じるようになりました。最近では、ヴァヤヴィヤ(呼吸法の一つ)をやると、出入息のときから身体が快感状態になります。調子がいいと、身体が強くしびれて、何とも言えない、この世の最高の快感ではないかと思うほどの快感状態が、一息ごとにやってくるのです。
数日の集中的な修行に入った場合は、さらに全身、これ以上にないような快感を伴う至福が何度も何度もやってきます。身体が痛いほどしびれるのですが、その痛みが緩んでいくときの気持ち良さは、性的な快感とは比較にならないほど強く、しかも長く続きます。
そのうえ、悦の状態のあとは、心がとても満たされ、頭の中がものすごくすっきりしています。この喜悦の絶頂の状態になると、頭の中が透明になったような状態で、意識が広がり、肉体から解放されたような状態で、瞑想に集中することができます。この悦の素晴らしい快感に浸るとき、「修行って、本当に素晴らしい、修行していて本当によかった」という思いが心からわき上がってきます。
多くの人に、この至福と内的歓喜を体験してほしいです。そうすれば、わたしたちの内側には素晴らしい歓喜があり、それは、外側の喜び、煩悩を満たす喜びよりずっとずっと素晴らしいものなんだということを実感し、真の幸福を得ることができると思うからです。(東京 Mさん)
■《体験談(2)》 クンダリニーのプロセスを着々と――甘露の体験
初めてのセミナーでクンダリニーの体験をしてから、わたしは、少しずつクンダリニー・ヨーガのプロセスを進めていきました。
そして、ある時期から変な感覚を覚えるようになりました。身体に水――おそらく甘露だと思われるのですが――が流れるのです。最初は“雨が身体に当たったのかと思い、確かめるのだが降っていない”といった経験から始まり、次は、「すごく汗をかいているなと思い、触ってみると汗などどこにもない」という状態になりました。
そして、汗が流れる感覚を、足や背中にも感じるようになりました。やがては、その水は喉に集中するようになり、他の部分にはあまり感じられなくなりました。それが長く続くと、次は胸に集中です。そして、頭の中を雨が降るような感覚に変わり、お腹に集中するようになり、最近はへそから下腹部に集中するようになっています。
ところで、わたしはこれらを、寝入りばななどの意識がまどろんでいるときによく経験します。少し深い意識状態に入るとクンダリニーがよく上がるせいかもしれません。ざっと書きましたが、これが、入会してから、現在までに起こった変化です。(大阪 Nさん)
■《体験談(3)》 甘露――エクスタシーを超えた至福感
極限で功徳を積んでいるときに、よく甘露が落ちます。
感動したのは、アナハタ・チャクラまで甘露が落ちてきたとき、今生経験したことのないほどの歓喜状態になったことです。エクスタシーを超えた状態、説明できないほどの幸福な状態でした。(大阪 Oさん)
■《体験談(4)》 熱、ダルドリー、クンダリニーの霊視、そして甘露へ
クンダリニーが覚醒してからは、体中が熱くなりエネルギッシュになりました。そして、よくダルドリー・シッディ(空中浮揚の前段階)が起こるようになり、次は、クンバカ(保息)中にアージュニァー・チャクラでクンダリニーがサッと上昇するのが見えるようになっていました。
そして、どんどん修行していくと、今度はサハスラーラから冷たい甘露が落ちてくるようになり、それがアナハタ・チャクラを通過するときには、何とも言えない気持ち良いしびれがあり、至福の気分を味わいます。(大阪 Jさん)
■《体験談(5)》 甘露で意識は鮮明、頭がとても冴えた状態に
修行をこつこつ続けていった結果、冷たい雫のようなものが頭から落ちてくるような、甘露の体験をするようになりました。
落ちてくる甘露はだんだん多くなり、最近では、頭頂からだらだらと流れ落ちてきます。それは仕事中でも、修行中でも、頻繁に起こります。甘露が落ちてくると、意識は鮮明になり、頭がとても冴えた状態になります。
(福岡 Dさん)
◎至上の幸福=“喜”
不死の甘露は頭頂のサハスラーラ・チャクラから次第に下へ下りていき、性器の根元にあるスヴァディスターナ・チャクラを満たして、強烈な震動を呼び起こす。その震動に呼応して、再び“悦”を伴ってクンダリニーが上昇する。
このプロセスが何回も繰り返されることにより、クンダリニー上昇時に生まれる“悦”に加えて、心の満足感である“喜”がつくられる。それは徐々に強くなっていく。この段階では心に雑念がなくなる。そのため、強い精神集中(凝念)を習得することができる。
◎瞑想に不可欠な“軽安”
“軽安”に至った途端、肉体的な痛みを感じなくなる。そうして、解脱にどうしても必要な長時間の瞑想が可能になる。日常生活においては、体が軽くなり、歩いているときなど浮いているような気さえする。
“喜”では、心が非常に満足した状態だった。その満足した心が、肉体的に素晴らしい影響を与えるようになるのが、この段階である。
◎無限のエネルギーの源“楽”
“楽”はものすごいエネルギーを持っている。“楽”によってエネルギーが満ちあふれ、自分がやらなければならないこと以外、意識が向かわなくなる。このことがエネルギーのロスをなくし、エネルギーを体内に充実させる。
“喜”の満足に対して、“楽”は安定である。外界の刺激に反応しなくなる。
◎究極の瞑想状態、“三昧(サマディ)”
三昧(サマディ)とは、非常に深い瞑想状態である。それは、主体と客体の合一の状態といえる。主体とは自分自身のことであり、客体とは相手や対象物のこと。それが合一するとは、強い精神集中をすることにより、自分が相手や対象物に溶け込み、一体となることなのである。
(Alephの成就者のサマディの体験談は、こちらの記事をご覧ください。)
■《体験談(6)》 経典どおりに体験した、各段階のサマディ
サマディにはいろんな段階があって、呼吸が止まっているだけで心臓が動いている状態と、最後には心臓も止まってしまう状態があります。わたしは、心臓が完全に停止するサマディというのは、神聖天を超えるサマディだと思っています。
初期段階のサマディでは、心臓は早鐘のようになったり、大変静かになったり、遅弱になったり、微弱になったりと、いろいろな動き方をします。
わたしは、そういった形で最終的に呼吸停止にまで至る状態というのを、Alephの教義通りに、一個一個確実に経験することができました。それはすごく面白い経験でしたね。(ヴァジラハーサ師)
この三昧においては、次の五種類のヨーガを経験する。
1、熱のヨーガ――内なる炎
2、バルドのヨーガ――死の体験
3、夢見のヨーガ
4、幻身のヨーガ――時空を超える
5、光のヨーガ――神が送る光のサイン
■《体験談(7)》 バルドのヨーガで人間界を経験
長期修行中に、激しいトゥモの体験をしました。
そして、ある日のシャヴァ・アーサナの時間、ふと気が付くと――自分では普段の表層意識の状態だと思ったのですが――意識が肉体から離れているような感じになり、アストラル体がわたしの意志とは関係なく頭の方から抜けて、移動を始めました。
そして、上にも下にも行かず平行に真っ暗な中を移動すると、やがて先の方に丸い出口が見えてきたため、自分が暗い筒、トンネルのような中を通っているということがわかりました。
そのトンネルから出ると、そこは今と同じ人間界でした。周りを見ると、道路に車が止まっていたので、わたしは「変な世界で迷子にならなくてよかった」と思い、その車で道場に戻ろうと思いました。
あとでそれがバルドのヨーガだったと知り、真っ暗な中を移動しているときに上がりも下がりもしなかったのは、行った世界が今と全く変わらない人間界だったからか、と納得しました。
最近では、意識を保ったままアストラル体が移動を始め、空間を通り抜けていくとき、神々を意識していると、その世界が消えてしまい、上方から光が見えてきて、その光に向かって飛んでいくという体験をしました。(東京 Sさん)
■《体験談(8)》 夢見や幻身の体験が頻繁に
道場での修行中に、自分の周りが道場と違う別の空間になってしまった、という幻身のヨーガの体験をしたことがあります。
その後何年かして、ワークをしているときや集中修行に入っているときに、夢見のヨーガの体験が時々起こるようになりました。
そのころは、特に霊的体験が頻繁に起こっていたのですが、ワークを終えてシャヴァ・アーサナをとると、体がしびれてきて、普段の意識が途切れることなく、夢の世界へと入っていくようになりました。そこでは、「自分は夢を見ている」という意識がはっきりとあるため、好きなことができました。夢の世界を、別の空間に変えたりもしました。
眠りから覚めるときも、意識は途切れることなく戻ってきました。そこから「再び夢の世界に戻ろう」と思うとまた入っていくこともできましたので、それを何度か繰り返して夢を楽しむこともありました。
そのときは、夢に入っていくだけではなく、通常の意識のまま、目をつむるだけで別の空間が見えたり、その場が別の空間になったりしました。例えば、目をつむると周りが海になり、そこに自分が浮いている状態、目を開けると元の世界、また目をつむれば周りが海、といった感じです。またあるときは、目を開けた状態で、目の前の風景にダブってアストラル世界の人間界が見えたりもしました。(東京 Tさん)
◎真実の世界を知る“如実智見”
“三昧”によってすべてを知ったならば、「すべては苦しみである」という“如実智見”が生じる。
◎心の解放――“遠離”と“離貪”
自分を確立するために、世間から離れる。そして、特殊な瞑想を行なって“離貪”を進める。
◎そして解脱へ
この行を終え、心が消滅し、真我が何の影響も受けなくなると、いわゆる唯我独存の状態が訪れる。これが解脱だ。生きながらにして苦のない状態である。生と死の壁は破られ、絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜のパスポートを得た状態である。
――以上が、人生のすべてを苦だと感じることから始まる、クンダリニー・ヨーガの解脱までのプロセスである。
原始仏典に記されているこれらの内容は、すべて、実際の修行で、あなた自身が体験できることでもある。ぜひ、正しい修行によって、仏陀釈迦牟尼が後世の修行者たちのために残した、解脱に至るプロセスを体現していただきたいと思う。
